西念寺宗祖親鸞聖人御正忌報恩講・十七代継職法要挨拶(24日朝席)

本日はお参りいただき有難うございます。皆様からご寄付を賜り本堂、門徒会館、境内の改修工事が進んでおります。厚く御礼申し上げます。

さて境内ですが、改修に当たって無くなったものがあります。お隣の松永さん宅を取り壊して、大手原の後藤さんが造ってくださった花壇を隅に移しましたが。もう一つ無くなったものがありますが覚えておられるでしょうか。

実は電柱がなくなりました。

境内への入り口の隣に、新しく壁が新設された場所に電柱が立っておりました。

3年前、台風で電柱が倒れて隣に建っている楼門を壊したら修復できないだろうと心配して一度九州電力さんに電柱を退ける事ができないかと相談した事がありました。しかし、九電の担当者さんから「これはここになくてはなりません。また一本抜き替えるのに費用もかかりますので」と言われてしまいました。あんまり無理は言えないなと思い要望を引っ込めた事でありました。

ところ一か月ほど前に御門徒の司法書士さんが訪ねて来られて、父に「せっかく塀を新設しているのに電柱が景観を汚しているやないか、この電柱九電に動かしてもらったら」とおっしゃられました。そこで父は九電に電話をしておりました。私はそれは前回無理と言われたので無理だろうと思っていたのですが。すぐに九電さんがやってきて、ほんとこりゃあ邪魔ですね、敷地の隅にずらしましょう」と言って一週間後に電柱を抜いて、隅に立て直しをしてくれた事でありました。私はとても不思議に思い、司法書士さんの所にお参りに行った時に、「九電さん前回はえらいこばんでいたのに今回は二つ返事でしかも電話して2週間もたたない内に電柱を移設してくださったのですが、これはどういう事だったのですか」と尋ねてみますと。

司法書士さんが「もともとあの電柱は九州電力さんが、土地の所有者であるお寺に『ここに電柱を建てさせてください』とお願いして建っているものだから、土地の所有者が動かしてくださいと要望したら九電さんにはあがなう権利はないのですよ」と

私としては生まれた時から立っていた電柱だったので、電柱の方にそこに建つ権利があり、動かしてくださいというのはこちらのわがままと思い込んでしまっておった事であります。

実はそれと同じで私たちはこの命や人生を自分の物だから私がどう使おうと勝手でしょと思い込んでいる事でありますが、もともとこの命や人生は仏様からいただいたものであると教えられます。

仏様からあなたが、その命を使って、人生を使ってあなたの本懐を果たし遂げてくれるならあなたに命を与えましょうと言われていただいた命であります。

しかし、私たちはその前提を忘れて自分の都合を満たすための道具として命や人生を利用している事であります。

その事を皆様とともに宗祖の教えを通して確かめていくことを念じまして住職継職の挨拶に変えさえていただきます。

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