第一帖目第五通 参詣施物の心中

御文箱 御文

現代語訳(抜粋)

第五通 参詣施物の心中

今年はたくさんの方々が吉崎の本山に参詣し施物を寄進して下さっておられますが、どのような心でなさっているのでしょうか。

当流の趣旨では浄土に往生できるのは、他力の信心を得るから往生できると教えられるところです。しかしその信心を得ている人がほとんどいません。信心を得ていないのにどうして浄土へ往生する事ができるのでしょうか。私達が人生で果たし遂げなければならない一大事とは他力の信心を得る事です。

この深い雪の中、五十里百里の遠路をしのいで本山に参詣されたのはいったい何のためと心得ておられるのでしょうか。

今まではどのような心持であったとしても、これからは心得ておかなければならない事を詳しく申しましょう。よく耳をすませて聴聞して下さい。その趣は、他力の信心という事をしっかりと心の中に蓄えて、その上に仏恩報謝のためにいかなる時も念仏を申されるのがよいという事、その事ばかりであります。このように心得るならば、この度の浄土往生は確かな事です。このうれしさのあまりには、師や坊主の所へ足を運び、施物をするのもよいでしょう。これすなわち、当流の教えをよく心得た他力の信心の人と言うのです。あなかしこ、あなかしこ。

本文(『真宗聖典』七六二頁より)

 そもそも、当年より、ことのほか、加州・能登・越中、両三か国のあいだより、道俗男女、群集をなして、この吉崎の山中に参詣せらるる面々の心中のとおり、いかがとこころもとなくそうろう。そのゆえは、まず当流のおもむきは、このたび極楽に往生すべきことわりは、他力の信心をえたるがゆえなり。しかれども、この一流のうちにおいて、しかしかとその信心のすがたをも、えたるひとこれなし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をばたやすくとぐべきや。一大事というはこれなり。さいわいに五里十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに参詣のこころざしは、いかようにこころえられたる心中ぞや。千万こころもとなき次第なり。所詮已前はいかようの心中にてありというとも、これよりのちは心中にこころえおかるべき次第を、くわしくもうすべし。よくよく耳をそばだてて聴聞あるべし。そのゆえは、他力の信心ということを、しかと心中にたくわえられ候いて、そのうえには、仏恩報謝のためには、行住座臥に念仏をもうさるべきばかりなり。このこころえにてあるならば、このたびの往生は一定なり。このうれしさのあまりには、師匠坊主の在所へもあゆp766みをはこび、こころざしをもいたすべきものなり。これすなわち、当流の義をよくこころえたる、信心のひととはもうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明五年二月八日

参考文献『現代の聖典 蓮如五帖御文』(法蔵館)

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