「親鸞の主著『教行信証』の世界」のご紹介

親鸞の主著作『教行信証』の世界 雑談

恩師の延塚知道先生の新刊が発刊されました。一般の御門徒さんには少し難しいかと思われますが、法座のご法話の背景、お念仏の教えを『大無量寿経』や『教行信証』を通して確かめたい方にはお勧めの本です。何度も読んでいれば少しづつ了解が深まってまいります。

仏教は最終的には自分自身の受け止めでありますが、その受け止めの背景をお経に見い出せておれば公さを持つ事になります。50年100年もすれば個人の受け止めは世の中から消えていってしまいますが、経論釈は末代まで残ってゆくものです。

ちなみに仏教の本は基本的に出せば出すほど赤字になるそうです。2年ほど前に発刊された本では出版社さんのミスで構成に間違いが出てしまったそうです。しかし先生は自腹を切ってすべて本を買い取り、訂正しなおして発刊なさったそうです。仏教を世の中に公開されようとする先生の姿勢に頭が下がります。また真宗大谷派田川組34ヶ寺にも寄贈してくださりました。恐らく34ヶ寺の住職さん達はみなさんもうすでに読破なさった事かと思います。(笑)

先生の意図とは違う了解になってはいないか、とても心配ではありますが、自分なりに読んで、現状の自分なりの受け止めをまとめてブログに載せる事が、本の紹介の助けになると思い綴らせていただきます。やっている事と言っている事が矛盾しますが、ご興味がある方は本稿を読むより是非お買い求めください。

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親鸞の主著 『教行信証』の世界 | 東本願寺出版
宗祖親鸞聖人の主著であり、浄土真宗の根本聖典とされる『教行信証』。本書は、この『教行信証』制作において親鸞聖人が担った課題、著述にあたって聖人がとった独特な方法論などを読み解き、そこに書き残された〝凡夫が仏に成る〟仏道を尋ねる。『教行信証』を読むための視座をたしかめる一冊。

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三輩章より

三輩章とは法事でお勤めされる『大無量寿経』下巻、第十一願、第十七願、第十八願成就文が説かれた後に説かれる章です。

如来の本願力(他力)の成就文と背中合わせに説かれている事より自力から他力への回心が説かれていると受け止められます。

三輩とは私達衆生を能力に応じて上輩・中輩・下輩とに分けた表現であり、三輩章では上中下の能力に応じた自力の往生が勧められています。(往生とは自身の本懐を遂げてゆく歩み、自利利他円満を実現してゆく歩み、仏様より明かされた人生を完全燃焼してゆく道)

しかし三輩の教えを忠実に実践する所に明かされてくる事は、教えから脱落してゆく自分自身、自己の愚かさではないのでしょうか。

法然上人と親鸞聖人は、『大無量寿経』の三輩章を落ちこぼれてゆく自分自身への自覚を促す説教と受け止めたのです。

また三輩章とは『観無量寿経』の散善義に相当する箇所です。

善導大師は(散善義の三心の深心の二種深心の)機の深心の教えにより、自身は自力無功の身であると教えられた。それはそのまま『大無量寿経』の阿弥陀如来の本願力に乗托した自身と自覚させらたのです。

善導大師の了解によれば『観無量寿経』は私達衆生を下品下生の身であるという自覚を促して『大無量寿経』の如来の本願力へ導く教えであるため必要な門です。如来の本願力に導く必要な門という意味で要門です。すなわち善導大師は『観無量寿経』を自力による往生から他力による往生へ導く教えと受け止めております。

つまり『観無量寿経』は善導大師の了解に従って称名念仏を勧める如来の本願力を説く教えと読むか、自力で(往生し)仏を観る観仏三昧の経典と読むかに分かれます。

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