第一帖目第六通睡眠の御文

御文箱 御文

現代語訳(抜粋)

この頃は強い睡魔におそわれて眠いのはどうしたことかと考えてみますと、往生を遂げる命終が近づいてきたからであると思われます。大変あじけなく、名残惜しく思います。そうではありますが今日まで往生の時が今にも来るだろうと気を許す事なく備えてまいりました。この吉崎の地で私の亡き後も信心を決定する人々が途絶える事がない事を絶えず願うばかりです。この念願通りであれば、このまま往生しても思い残す事は何もないのです。

しかしみなさんの心には大変油断があるように見受けられます。我々凡夫というものは、気を許して過ごすものであるのでしょう。それゆえ、皆さんの心持が十分でないと思われるのです。本当は明日をも知れない命です。何を言っても命が終わってしまっては役に立たないことです。命ある内に念仏往生の道理について 疑問をなおざりにすることなく早く明らかにしなければ、必ず後悔ばかりになりましょう。よく心得て下さい。あなかしこ、あなかしこ。

本文(『真宗聖典』七六三頁より)

そもそも当年の夏このごろは、なにとやらん、ことのほか睡眠におかされてねぶたく候うは、いかんと、案じ候えば、不審もなく往生の死期もちかづくかとおぼえ候う。まことにもってあじきなく、名残おしくこそ候え。さりながら、今日までも、往生の期もいまやきたらんと、油断なくそのかまえは候う。それにつけても、この在所において、已後までも信心決定するひとの退転なきようにもそうらえかしと、念願のみ昼夜不断におもうばかりなり。この分にては、往生つかまつり候うとも、いまは子細なく候うべきに、それにつけても面々の心中も、ことのほか油断どもにてこそはそうらえ。命のあらんかぎりは、われらはいまのごとくにてあるべく候う。よろずにつけて、みなみなの心中こそ不足に存じそうらえ。明日もしらぬいのちにてこそ候うに、なにごとをもうすもいのちおわりそうらわば、いたずらごとにてあるべく候う。いのちのうちに、不審もとくとくはれられそうらわでは、さだめて後悔のみにてそうらわんずるぞ。御こころえあるべく候う。あなかしこ、あなかしこ。
この障子のそなたの人々のかたへまいらせ候う。のちの年にとりいだして御覧候え。
文明五年卯月二十五日書之

参考文献『現代の聖典 蓮如五帖御文』(法蔵館)

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