ある有名人が、娘さんへの暴行疑いで逮捕され、活動辞退に追い込まれたというニュースが話題になっていました。
報道によると、娘さんがChatGPTというAIに相談したところ、「児童相談所へ相談した方がよい」と勧められたそうです。そして実際に相談すると、児童相談所から警察へ連絡が入り、現行犯逮捕となったと伝えられていました。
私は最初、このニュースを見た時、正直、「単なる親子喧嘩ではないのか」と感じました。また、「これほどで逮捕となるなら、子育て中の親は皆、大変だなぁ」とも思ったのです。
けれども、改めて考えてみますと、親というのは、誰よりも子どもに愛情を注ぎ、手間暇をかけて育てている存在でもあります。だからこそ、「こんなにしているのに、なぜ分かってくれないのか」と腹が立ってしまうこともある。
一方、子どもは子どもで、「自分は無条件に愛されている」という安心があるからこそ、「なぜ認めてくれないのか」「なぜ許してくれないのか」と不満を抱くこともあります。
つまり、愛情があるからこそ、ぶつかってしまうということがあるのでしょう。
そして実際に通報した娘さんも、お父さんが警察に連行されていく姿を目の当たりにして、はっと我に返り、「とんでもないことをしてしまった」と泣き崩れたそうです。
そこには、世間の法律や正しさだけでは、人は本当には救われないという現実が、はっきりと顕れているように感じます。
また、児童相談所も、決して悪意をもって動いたわけではないでしょう。もし万が一、この後さらに深刻な暴力や、取り返しのつかない事件につながったら――そうした危険性が少しでも頭をよぎれば、やはり動かざるを得ない立場でもあります。
つまり、父親も、娘さんも、児童相談所も、それぞれが「これが正しい」「これしかない」と思って行動しているのです。しかし、その結果として、皆が苦しむことになっている。
私はこの話を聞いた時、『涅槃経』や『観無量寿経』に登場する阿闍世王子の姿が重なりました。
阿闍世も、その時その時は「これが正しい」「こうするしかない」と思い込み、取り返しのつかない行動へ進んでいきました。しかし後になって、自分がしてしまったことの重さに苦しみ、深く悩み続けるのです。
腹が立った時、不安になった時、傷つけられたと感じた時、私たちはその瞬間、「これが正しい」と思って動いてしまう。しかし後になって、「なぜあんなことをしてしまったのか」と苦しむ。そこに、人間の弱さや愚かさがあるのではないでしょうか。
だから仏教では、まず他人の愚かさを裁く前に、自分自身の愚を見つめることが大切にされます。
そして、自分もまた同じように迷い、怒り、思い込みに振り回される存在であると知らされるからこそ、他者の愚かさをも包み込む心が生まれてくるのでしょう。
誰か一人に悪意があったから起きた出来事ではない。むしろ正義に立つ時に、人は傷つけ合い、苦しみを生み出してしまう。その人間理解を深めさせていただくところに、念仏の大切さがあるのではないでしょうか。
さらに、そのどうにもならない愚かささえも、浄土往生への徳へと転じてくださる――そこに阿弥陀如来の願いがあるのだと、お聞かせいただくことであります。
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