三月三日はひな祭りです。
ひな祭りは「上巳(じょうし)の節句」とも呼ばれ、もともとは人の身のけがれや災いを人形(ひとがた)に移し、無事を願った行事が始まりとされています。子どもの健やかな成長を願うと同時に、「どうか守られますように」という願いが込められた日でもあるようです。
先日、七十代半ばの方がこんなお話をしてくださいました。
「私が二十代でお嫁に来たばかりの頃、主人のおばあちゃんから“ねえさん”と呼ばれていたんですよ」と。
年上のおばあちゃんから「ねえさん」と呼ばれるのは、少し不思議に聞こえますが、昔は家に嫁いできた若い女性を、親しみと敬いを込めて「ねえさま」「ねえさん」と呼ぶ習慣があったそうです。
ひな祭りの歌にも、
♪ お嫁にいらした ねえさまに
よく似た官女の 白い顔
という一節があります。
ここで歌われる「ねえさま」も、年齢を表している言葉ではありません。新しく家に来てくれた人を、大切に迎える呼び名だったのでしょう。
私たちも、名前を知らない女性に声をかけるとき、「お姉さん」とは言えても、「おばさん」とはなかなか言えません。
同じ呼びかけでも、そこには相手との距離や心の向きが表れるからです。
人は年齢や立場だけで生きているのではなく、どのように呼ばれ、どのように迎えられているかの中で生きているのかもしれません。
私自身、お月忌に伺っていて同じことを感じることがあります。どのお宅も大切なご縁として迎えてくださっているのですが、正直に申しますと、法話まで楽しみにしていただいているかというと、少し自信がない時もあります(笑)。
けれど不思議なことに、温かく迎えていただいていると感じる場では、自然と言葉が出てきます。
同じ話をしているはずなのに、安心できる空気の中では、のびのびとお話しできるのです。
人は、十分に理解したときよりも、まず迎えられていると感じたときに、心が開くのかもしれません。
浄土真宗では、阿弥陀さまのおはたらきを「呼びかけ」としていただきます。
阿弥陀さまは、できる者だけを選ぶのではなく、迷い多い私たちに向かって「そのままでよい、われをたのめ」と呼びかけ続けてくださいます。
私たちが念仏申すのは、仏さまとの関係がすでに結ばれている証といただきます。
私が立派になったから救われるのではありません。
先に呼びかけられているからこそ、南無阿弥陀仏と申す身になっているのです。
昔、お嫁に来た方が「ねえさま」と呼ばれる中で、少しずつ家族になっていったように、私たちもまた、阿弥陀さまに呼びかけられる中で、ご縁に生かされています。
ひな人形が人と人との温かい関係を伝えてくれるこの日に、私たちもまた、すでに呼ばれ、迎えられている身であることを味わってみたいものです。
南無阿弥陀仏。
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