順調に育ち、県内でもトップクラスの高校へ進学した、従兄の娘が、不登校になってしまいました。
身近な出来事として、家族や親族それぞれが心を痛め、どう関わるべきか悩んでいます。
妻に「自分ならどう対応するか」と尋ねてみました。
すると妻は、こう言いました。
「私なら、無理に学校には行かせないかな。ただし、学校に行かない代わりに、家で同じ時間は勉強するか、働きに行かせる。
それから、学校を休んだ日はゲームとスマホは禁止。
それらは“学校で一日頑張ってきたご褒美”として許されるものだからね。」
学校に行くことがもたらすストレス、そしてそのストレスへの耐性は、人それぞれです。
無理やり学校に行かせ、心が壊れてしまっては、取り返しがつきません。
そう考えると、妻の対応は、なかなかよい判断ではないか――そのように私は感じました。
しかしその一方で、ふと、思いが別のところへ向かいました。
もしこのことを、かつての恩師に相談したら、どう言われるだろうか。
あるいは、親鸞聖人やお釈迦様に問うたなら、どのような言葉をいただくだろうか。
おそらく、こう叱られるのではないかと思えてきたのです。
「何をテクニックに頼っているのか。
親が、どんなつもりで生きているのか――そのことが、今まさに問われているのではないか」と。
子どもが順調に育ち、定職に就き、生涯にわたって生計を立てていくこと。
それは、親にとっても、周囲にとっても、大きな関心事でしょう。
けれども、その問いの先にあるはずの――
何のために生計を立て、何のために生きていくのかという肝心要が、抜け落ちてはいないだろうか。
もし、その「肝心要」を照らし出し、浮き彫りにしてくれるご縁として、
今回の不登校という出来事が与えられているのだとしたなら。
それは、避けるべき災いではなく、
有難く頂戴していくべきご縁なのではないか――
そのような声が、どこからともなく聞こえてきたことでありました。
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