「自慢する人」と「謙虚な人」がいる不思議

人のシルエットに温かな光が差し込むイラスト。「人は満たされない時ほど、自分を大きく見せてしまう」という言葉が添えられたアイキャッチ画像。

人と話していると、ときどき不思議に思うことがあります。

ある人は、自分の過去の功績や経験をたくさん語り、時に止まらなくなってしまうことがあります。一方で、自分のことはほとんど語らず、まわりの人の良いところばかり褒める人もいます。

同じ「人間」なのに、どうしてこんなに違うのだろう? そんなことを考える時間がありました。

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自慢の裏には「満たされない心」

心理学では、幼い頃に「認められる体験」が不足していると、大人になってから 自分の価値を証明し続けることで安心を得ようとする と言われています。

だからこそ、功績を語ることが多くなってしまう。誰かに「すごいですね」と言ってもらうことで、安心しようとしているのです。

反対に、幼い頃に十分な愛情と承認を受け取って育った人は、自分を大きく見せる必要がありません。そのため、自然とまわりの人の良いところを見つけ、褒め、喜べる余裕が生まれます。

「良い人/悪い人」ではなく「縁の違い」

ここで思い出されるのが、親鸞聖人のお言葉です。

さるべき業縁もよおさば、いかなる振る舞いもすべし

人は、生まれ・育ち・環境・経験という「縁」によって、思いもしなかった振る舞いをしてしまう存在。

観経疏には、次のように記されています。

九品の違いは縁のみ

良い人と悪い人がいるのではなく、その人を形づくった「縁」が違うだけ。そう見えると、人の姿がやわらかく見えてきます。

だからこそ「受け止めるまなざし」を

誰かが自慢しているとき、誰かが感情的になってしまうとき、誰かが人の悪口を言ってしまうとき──

その裏には必ず 「安心したい心」や「満たされなかった寂しさ」 が潜んでいます。

それに気づけたとき、私たちは言葉を変えられます。

  • 批判ではなく、受け止める言葉へ
  • 指摘ではなく、認める言葉へ

そして、自分が誰かの「心の安心の居場所」になれたら、それは何より尊い生き方だと思うのです。


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