今日、二歳半の娘をハーモニーランドに連れて行きました。上の息子は学校があったため、妻と私と娘の三人での遠出となりました。本当は家族四人そろって出かけたいという思いもあります。しかし、妻がこんなことを言いました。
「子どもって、兄弟がいるとどうしても親の注意を取り合うでしょう?
だからこそ、“今日は自分のために親が一日を使ってくれた”と実感できる日がすごく大事なんだよ。」
その言葉を聞きながら、私はハッとしました。正直、私はずっと「子どもをどこかに連れて行くときは、二人揃っていなければ不公平だ」と勝手に思い込んでいたのです。
一人だけを連れて行くと、もう一人がかわいそうになるのではないか――。しかしそれは、親である私の側の思い込みだったのだと気づかされました。
教育心理学でも、自己肯定感が育つ土台のひとつとして「特別に扱われた経験(Special Time)」が挙げられています。海外では臨床心理士や児童カウンセラーが、兄弟がいる家庭には「1対1で向き合う時間を意識的につくること」を勧めているほどです。
さらに家庭心理学の研究では、「親と一対一で過ごした経験がある子ほど、兄弟げんかが少なくなる」というデータもあります。理由は、「お母さん(お父さん)は私のことをちゃんと見てくれている」という実感が、嫉妬や競争心を自然と和らげていくからだと言われています。
こうした話を聞いているうちに、「不公平だから二人そろって出かけるべきだ」という私の固定観念は、すうっとほどけていきました。
親としての“責め心”にも気づく
実際、うちの子どもたちも、おもちゃの取り合いや「ママはぼくの!」「ママはわたしの!」という取り合いでケンカになることがあります。そんなとき私はつい、「どうして相手に譲ってあげられないんだ」と子どもを責める心が湧いていました。
しかし、今日の学びをふまえると、本当は私自身がもっと愛情や注意を注げていれば起きなかったケンカだったのではないか、という思いが胸にこみ上げてきました。
兄弟が取り合うのは、“親の愛”を確認したいから。責めるべきは子どもではなく、“見ていなかった私ではないか”――そんな気づきがありました。
そんな時に見た「娘の変化」
ハーモニーランドで、娘はキティちゃんのおもちゃを買いました。普段の娘なら、息子には絶対に触らせません。息子が手を伸ばせば、すぐに取り合いになり、ケンカが始まります。
しかし、その日は違いました。
私がヒヤヒヤしながら見守る中、娘はそのキティのおもちゃを息子にそっと差し出し、「触っていいよ」と譲ったのです。
私は驚きました。そして胸がじんわりと温かくなりました。
“自分だけを見てもらえた安心”が、兄弟への優しさに変わっていく。そんな娘の姿でした。
そして、ふと思わされました。
完璧でない父である私と、取り合いをしてしまう息子と娘。
そのどちらもまるごと包んでくださるはたらきが、いつもこちらへ向いている。
そのはたらきを、阿弥陀仏というのだろう――と。
大人も“思い込み”で世界を狭くしていた
実は今日の私は、キティちゃんに会う前まで、「ぬいぐるみに会って何が楽しいんだろう」と思い込んでいました。ところが実際に“本物のキティちゃん”を前にすると、不思議と心が動かされ、その姿がなんとも可愛らしく見えてくるのです。
その瞬間、世界を狭めていたのは、他でもない自分の思い込みだったと気づかされました。
子どもは、小さな世界で全身で喜び、全力で生きています。大人になるほど、知ったつもりで世界を閉ざしてしまう。娘は今日、そんな私の心の曇りをそっと破ってくれました。
今日の“娘だけとの一日”は決して不公平ではなく、むしろ兄弟にもいい影響を与える時間でした。そしてそれは、父としての私の思い込みを破り、心の曇りを照らしてくれる一日でもありました。
福岡県田川郡香春町西念寺


