(本当の幸せはどこにある?)
先日、ある御門徒のお宅にお参りしたときのことです。久しぶりに同世代の息子さんとお会いしました。お仕事の関係で他県へ行くことが多く、一度出ると一、二週間は家に帰れないそうです。 「家族が恋しくてたまらないけれど、考えると寂しくなるので、なるべく家のことは考えないようにしているんです」と話されていました。
そこで、「今週末はお家に帰れたのですね。お子さんたちに囲まれて嬉しいですね」と声をかけると、少し照れくさそうに笑いながらこう言われました。
「いやぁ、嬉しいのは最初の一時間くらいですね。息子も娘も可愛いけれど、“パパ!パパ!”と何度も呼ばれてくると、だんだんしつこく感じてしまって……つい“ええい、しゃしい!”と怒鳴ってしまうんです」と。
けれども、また仕事で遠くへ出れば、きっと一、二日もしないうちに家庭が恋しくなるのでしょう。近くにあれば煩わしく、離れれば恋しく思う――そんな人の心の不安定さに、思わず頷いてしまいました。
正直なところ、私はこの息子さんの話を聞きながら、「家族と離れて過ごす中でも、家庭の温かみをこれほど大切に思っているなんて、立派な方だ」と感じ、自分が日常に流されてその尊さを忘れがちなことを少し恥じていました。 しかし最後に語られた「しつこく感じてしまう」という一言に、あぁ、自分も同じなんだなと、どこかほっとしたのです。
私たちは、思いどおりにならないものにすぐ心を乱し、手にしている幸せを見失ってしまいます。けれども、お内仏(仏壇)や 納骨堂の前で手を合わせるとき、 「今ここに生かされていること」「家族と共に過ごせること」そのものが、どれほどかけがえのないことかに気づかされます。 その気づきの中にこそ、私たちが求めてやまない本当の幸せがあるのではないでしょうか。
お内仏や納骨堂は、亡き方を偲ぶだけの場所ではありません。そこは、生きる私たちが命のつながりを見つめ直し、本懐を明らかにする場でもあります。 静かな灯りのもと、家族を想い、過ぎた日々を思い返すとき、如来の大悲に包まれている自分のいのちに気づかされます。
関連リンク(西念寺 公式サイト)
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この記事のテーマ:田川 納骨堂 / 永代供養 / お内仏(仏壇) / 家族の供養 / 本当の幸せ


