
田川には、真宗大谷派のお寺が三十四ヶ寺あり、その集まりを「田川組(たがわそ)」と呼んでいます。私はいま、この田川組の次期執行部への就任を打診されています。任期は三年です。
実は十年前にも一度、三年間執行部を務めた経験があります。その当時も、研修会の企画や運営などで多忙な日々でした。貴重な学びをいただいた一方で、心身ともに余裕を失いがちになり、法務や家庭との両立の難しさも感じました。それから年月が過ぎ、今また「次期執行部に入ってほしい」とお声を掛けていただいています。
前期にも一度打診を受けたのですが、そのときは娘の出産を控えており、日々の法務と育児の両立は難しいと申し入れ、遠慮をさせていただきました。そして一年ほどが経ち、再び打診をいただき、いま心が揺れています。
執行部に入ると、組の研修会や会議の運営などに携わり、非常に多忙になります。大切なお役目であることは重々承知していますが、気が滅入るほど忙しくなるのも事実です。私は忙しくなると、どうしても余裕を失い、御門徒との約束を落としたり、家族に厳しく接してしまうことがあります。そのため、家族全員が「今回はやめておいた方がよい」と反対しています。
家族の心配ももっともだと思います。私自身、無理をすれば続けられない現実があります。 また、お受けしたお役が忙しい時期によく、福岡市や北九州市の方で葬儀や法要のご縁が重なることがあります。 田川からの移動もあり、時間的にも体力的にも大きな負担となることが少なくありません。また、 お寺からの収入で生活は成り立っているものの、建物(本堂・楼門・納骨堂)の維持や将来的な建て替え、子どもたちの学費を考えると、決して余裕があるわけではありません。 そのため、知人の仕事を手伝い、給料をいただいて家計を支えていますが、執行部を務めるとなると、その仕事を続けることが難しくなります。
「お世話をしなければならない」という責任感と、「無理をしたくない」「自分の時間を守りたい」という思いのあいだで、心が揺れています。
地域でも、私はこれまで体育部長や会計など、さまざまな役を務めてきました。本当によく役が回ってくるもので、最初は「また自分か」と思うのですが、実際に受けてみると、負担がかからないように工夫されていて、皆が助け合いながら支えてくれる。「気楽に引き受けなければ」と思えるようになりました。
しかし、田川組の執行部となると話は別です。時間も労力も、地域の役とは次元が違います。だからこそ、地域のお役目を避けようとする人の気持ちもよく分かります。お寺でも、地区総代や世話人をお願いしていますが、お受けいただくたびに恐縮の思いがこみ上げます。それでも、お役は誰かが受けねばならない。そうやって地域もお寺も成り立っているのです。
私たちは、「責任感」と「無理をしたくない思い」「自分の時間を守りたい思い」のあいだで、いつも揺れています。どちらが正しいということではありません。仏法は、「どちらを選ぶか」ではなく、「その迷いの心をどう受けとめるか」を問うています。阿弥陀さまの光は、私が何を選んだかではなく、迷いながら苦しむその心を照らしてくださっております。
執行部を受けるかどうか、まだ答えは出ていません。けれども、こうして悩み、揺れ動く心の中にこそ、如来の願いが届いているのだと思います。「責任感」と「無理をしたくない思い」「自分の時間を守りたい思い」――そのどちらの心も、阿弥陀仏の光の中にあります。
迷いながら、照らされながら生きる。それが、私にとっての仏法の道であります。
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