評価に翻弄されない心 ― 佐々木朗希投手の投球から学ぶ生き方

夢と評価の超越 ― 評価に振り回されない心(西念寺法話)

活躍すれば称賛され、不調なら批判される――。移ろう評価の波の中で、私たちは何を拠り所に歩めばよいのか。メジャー挑戦を続ける 佐々木朗希投手の投球から、評価に翻弄されない心を考えます。

目次

夢を追いかけた少年時代

子どもの頃、私たちは誰もが「大きくなったら何になろう」と夢を描きます。私も例外ではなく、プロ野球選手に憧れ、甲子園やプロの舞台で輝く姿を思い描いていました。 華やかな世界で活躍し、有名になることこそ「成功」だと信じていたのです。

しかし大人になると、名声や評価を得ることは決して良いことばかりではないと気づかされます。光が強ければ影も濃くなる――それが現実です。

佐々木朗希投手の挑戦と苦難

今年、メジャーリーグ・ドジャースに移籍した佐々木朗希投手は、移籍直後から故障に苦しみ、思うような投球ができない時期が続きました。 その間、世間では次のような批判の声が溢れました。

「故障を隠していたのでは?」

「日本で一年間投げ切ったこともないのに無謀だ」

「育ててもらったロッテにもう少しお返して行けば良かったのに」

華やかな評価は一瞬にして非難に変わる――まさに世間の評価の無常さを映し出しています。

再び見せた圧巻の投球

しかし、プレーオフの九回、佐々木投手は再びマウンドに立ち、160キロのストレートと鋭いスプリットで打者をねじ伏せました。 わずかな登板でしたが、その投球に球場は沸き、ネット上のコメントは称賛の嵐に変わりました。

「やっぱり本物だ」

「未来の大エース!」

つい先日まで批判していた人たちが、今度は彼を讃えている。人の評価とは本当に潮の満ち引きのように変わるものです。

評価に振り回されないために

活躍すれば称えられ、不調なら叩かれる。そんな社会の中で、もし自分の価値を「他人の声」に預けてしまえば、心は常に揺れ動き、苦しみます。

大切なのは、世間の評価を超えて生きる心の軸を持つこと。人にどう見られるかではなく、自分が何を信じ、どのように歩むか――その確かな軸こそ、私たちを自由にします。

仏教の視点 ― 無常と苦

仏教では、この移ろいやすさを無常と呼びます。人の心も、世間の評価も常に変わり続ける。そこに拠り所を求めれば、翻弄されるのは当然です。

では、どうすればよいのか。答えは「変わらないもの」に目を向けることです。

阿弥陀仏の眼差しに学ぶ

世間の声は変わりますが、阿弥陀仏の眼差しは決して変わりません。活躍した時だけ評価するのでもなく、失敗した時に見放すこともない。 「そのままのあなたを抱きとる」というはたらきが、常に私たちに向けられています。

その視点に立てば、私たちは少しずつ評価の波から自由になっていけるのではないでしょうか。

まとめ ― 評価を超えて生きる力

子どもの頃に抱いた夢は尊いものです。しかし、大人になった私たちが本当に育てるべきは、夢を叶える力よりも、評価に翻弄されない心。 それこそが、時代や世間を超えて生きる智慧ではないでしょうか。

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よくある質問

評価に左右されないために日常でできることは?

  • 情報の距離を取る:SNSチェックの回数を決める/通知を減らす
  • 軸の言葉を持つ:短い経文や座右の銘を唱える・書く。お念仏をいただく。
  • 身体を整える:呼吸・姿勢・歩行を整える。食生活を整える。

仏教でいう「無常」とは?

すべては移り変わるという事実。人の評価も感情も状況も変わります。 その変化を前提に生きることで、執着から少しずつ自由になれます。 落ち込んだ時、どこに拠り所を求めれば良い?

世間の声は変わりますが、阿弥陀仏の変わらない眼差しは常に私たちに向いています。 「そのままのあなたを抱きとる」という働きに触れ直してください。

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真宗大谷派(東本願寺) 西念寺(福岡県田川郡香春町)より。
ご縁の中でお念仏に遇う日々を大切に歩ませていただいております。

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