親鸞聖人御正忌報恩講のお知らせ
(当番は山下本町新町散り門徒)目次
日程・講師
日程 2025年11月2日(日) 時間 10:00〜12:00/お斎/13:00〜14:30 お昼 お斎(おとき)がございます 講師 寺本 温 先生(四日市別院 輪番)
ご挨拶
秋も深まり、朝夕の冷気に季節の移ろいを感じる頃となりました。平素は当寺の護持発展にご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
このたび、宗祖親鸞聖人の「御正忌報恩講」をお勤めいたします。
先日、高市早苗さんが新たに自民党総裁に就任され、その取材のなかで、ある記者が「支持率を下げてやる」と語っていたという報道がありました。
本来、報道とは真実を伝えるための営みであるはずですが、その“真実”よりも、自分の立場や感情を優先してしまう――そこに、人間の愚かさ、浅ましさがあらわれているように感じます。合掌。
しかし、その姿は決して他人事ではありません。私たちもまた、自分の都合のよい見方をしては、それを「正しい」と信じ、異なる意見を責めてしまう存在です。自分こそ正義だと妄想しているとき、人は遠慮を失います。
よく寺本先生が、こんなたとえを話してくださいます。
「自分が茶碗を割ったときには“茶碗が割れた”と言い、人が割ったときには“茶碗を割った”と言う。――同じ出来事でも、主語が自分になるか他人になるかで、見方がまるで変わってしまうのです。」
私たちは無意識のうちに、自分を中心に世界を見ている。その心のはたらきが、正義を掲げながらも、実は“私の立場”を守ろうとする慢心を生み出しているのです。
親鸞聖人は、まさにその人間のありのままの姿を見つめられて、「世間は虚假(こけ)、仏こそ真(まこと)」(『十七条憲法』)とお示しくださいました。
「虚」とは中身がなく、「假」とは仮にあるということ。つまり、世間の価値も人の言葉も、実体のあるように見えて、実は移ろいゆく“仮の真実”にすぎません。どれほど正義を名乗っても、それは「よろづのこと皆もって空言(そらごと)、戯言(たわごと)」――人間が語るかぎり、まことあることはないのです。
世間の価値や流行は移ろい、私の心もまた定まりません。だからこそ、時に命の根っこから「本当にそれでよいのか」と問いかけてくる、普遍なる如来の呼び声を聞くこと――その静かな声に耳を澄ますことこそ、この報恩講のご縁でございます。
送迎について
お帰りの車がない方はお送りいたします。どうぞ遠慮なくお声掛けください。
寺葬・自宅葬のご案内
事前にご相談いただければ、葬儀会館をご利用される場合に比べ、ご負担を大きく抑えて葬送を行うことができます。ご先祖が代々手を合わせてこられたご本尊の前で、大切な方を静かにお見送りされてはいかがでしょうか。
本堂での葬儀では、会場費としてお志をお納めいただいております。この会場費は、電気代や維持管理費の一部として充てられ、お寺を支える大切なご寄付にもなります。安価でありながら、お寺へのご奉仕にもつながり、さらに教えに沿ったご荘厳で心静かに故人をお送りすることができます。ご希望の方は、どうぞお気軽に住職までご相談ください。
福岡県田川郡香春町真宗大谷派西念寺
掲載日:2025-10-10