先週、二週間あった冬休みが終わり、息子の学校が始まりました。
冬休みに入った時はとても嬉しそうにしておりましたが、休み明け一日目、息子の行き渋りはひどいものでありました。
あまりに行き渋るものですから、妻が
「分かった。学校に行かなくてもいいよ。
しかし、行かなかったら、ママはしゅうま君がいつも楽しそうにしているおもちゃを全部捨てるからね」
と申しますと、渋々ではありますが、学校へ登校したのであります。
その日の夕方、息子が帰ってきますと、先生からの連絡帳に、
「ホームルームで『あけましておめでとうございます』と言うと、しゅうま君は
『あけましておめでたくありません』
と申してきましたよ」
と書いてありました。
冬休みが終わってしまったのに、何がめでたいんや、という率直な感想でありましょう。
それを見て、私と妻は思わず笑ってしまいました。
さらに私は、
「しゅうま君、八代目の蓮如上人みたいなことを言うね」
と申したことであります。
実際、本願寺八代目住職・蓮如上人は、新年の挨拶に
「おめでとうございます」
と言った御門徒に対して、
「何がおめでたいのか」
と問い返されたと伝えられております。
新しい一年がいただけてありがたい、ありがたいと言うけれども、
仏法を聞かなければ、新しくいただいた一年も虚しく過ぎてしまうぞ、
という忠告でありましょう。
息子もまた、冬休みが始まった時にはとても喜び、
おめでたい日々を過ごしておりました。
しかし、私たちは楽しみや幸せを手に入れてしまうと、
それらがずっと続いてほしい、壊れてほしくないと、
そこに執着を生み出してしまいます。
そして冬休みが終わり、その楽しみが壊れる時、
私たちは苦しみを感じるのであります。
私たちは幸せや楽しみを手に入れるために、
汗水たらして努力をしております。
けれども、その努力の末に手に入れた幸せや楽しみは、
やがて苦しみに変わっていく幸せ、
苦しみに変わっていく楽しみであるのです。
つまり、日々の歩みそのものが、
努力して苦しみを手に入れていく歩みになっている。
これでは中身のない、虚しい歩みではないでしょうか。
蓮如上人が、
仏法を聞かなければ、いただいた一年も虚しく過ぎるぞ
とおっしゃったのは、
まさにこのことを指しておられるのではないかと思うのであります。
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