『歎異抄』 後序

西念寺の御文箱と蓮如上人 御文

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞が一人がためなりけり。されば、そくばくの業を持ちける身にてありけるを、助けんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、今また案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に沈み、常に流転して、出離の縁あることなき身と知れ」(散善義)という金言に、少しも違わせおわしまさず。されば、かたじけなく、我が御身に引きかけて、我らが、身の罪悪の深きほどをも知らず、如来の御恩の高きことをも知らずして迷えるを、思い知らせんがためにてそうらいけり。

解説

今月はお月忌で『歎異抄』の後序をご一緒に拝読させていただいております。

2代3代前の私たちのおじいちゃん達は戦地に『歎異抄』を持って行かれたと伝えられております。お国を守るためとは言え戦地で人を殺す事を強いられたおじいちゃん達は「悪人正機」に代表される親鸞聖人の教えにすがらずにはおれなかったのではないのでしょうか。

今月は「そくばくの業」という言葉を通してお念仏の教えを確かめていきたいことでありますが。

今年、福岡県田川郡香春町では町長選挙と町議選挙が行われたました。

なぜか、

選挙が近づいてくるとお知り合いが増えて来る事ではないでしょうか。知り合いどころか「2,3代前はあなたのお家とは親戚だった」と親戚まで増え始める始末であります。

私の所にも25年ぶりに私を訪ねて来て下さる方がありました。

尋ねて来られた方の顔を見て、「困ったなぁ、こんな知り合いはいないけどな。思い出せないな」と困惑していると、学生時代に部活をしていた頃のチームメイトのお父さんでありました。

「○○君のお父さんやないですか。お久しぶりですね」と昔話に花が咲く事であります。

親戚の方が町議に立候補するという事でお連れになられての投票のお願いでありました。

「親戚ながら中々の人物者やから、こいつが町議になれば香春町はより良い町になると思うから投票をお願いします」と。

それに対して私も「是非投票させていただきます。香春町のために頑張ってくださいね」と申し上げた事でありました。

しかしながらこれはお互い建前でありお父さんの本音は

「親戚が町議になると内の会社に仕事が入ってくるから、すまんが投票してくれ」というものであり

私の本音も

「お父さん投票するのはかまわんけど、内で困った事が起こったら行政に掛け合って助けてくれなばい」というものではないのでしょうか。

私心を捨てて公のためだけに選挙活動を行っておられる方に対しては大変失礼なコメントになってしまいましたが、私がお父さんと同じように行政から仕事をいただく仕事をしていたら恐らく同じ事をしないと家族を養えない、抱えている従業員さんや取引先に迷惑を掛けてしまう事になるであろうと思われます。

さて、今月は「そくばくの業」という言葉を確かめたい事ででありますが、仏様は私たち人間を「たくさんのしがらみや業に括り付けられて身動きが取れなくなっている」と見抜かれていると教えられます。

私心を捨てて公のため香春町の事だけを考えて選挙活動できたら大変素晴らしい事でありますが、娑婆を生きていくという事は公を差し置いて身近な者の為に動かずにはおれない事の連続ではないか。娑婆を生き抜くという事が罪を犯してゆくという事ではないかと呼び掛けて下さっておる事ではないのでしょうか。

また一度戦争が起これば国から徴兵されて戦地で人を殺さなければならない罪を背負わされるのがしがらみの中を生きる人間の現実ではないか。

「自分は戦争には加担しません」「人は殺しません」という自由も与えられなかったのが2.3代前の私たちのおじいちゃん達ではないのでしょうか。

しかし阿弥陀仏は「そこばくの業」を抱え罪を犯さずには生きてゆけない私たちのために身を捨ててくださっておる事であります。

その事に思いを馳せながら今月も亡き人の人生を頂戴しなおしてまいりたいと思う事であります。

浄土真宗大谷派西念寺住職

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