御文– category –
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御文について
お勤めの最後に拝読される『御文』とは 浄土真宗のご家庭ではご法事やお月忌、お盆参りの最後に『御文』(『御文章』)が拝読されます。この『御文』は親鸞聖人から数えて八代目の蓮如上人が書かれた五帖八十通からなる和文の御文章です。蓮如上人が活躍さ... -
『歎異抄』 後序
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞が一人がためなりけり。されば、そくばくの業を持ちける身にてありけるを、助けんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、今また案ずるに、善導の、「自身はこれ現に... -
第四帖第九通疫癘の御文
現代語訳 近頃、たいそう多くの人が伝染病にかかって亡くなっております。しかしこれは伝染病によって亡くなるのではなく、生まれてきたものは必ず死んでゆく定めに従ったまでで驚くべきことではありません。しかし私達は伝染病によって亡くなったと妄想し... -
三毒五悪の貪欲
『大無量寿経』下巻の三毒五悪の貪欲を拝読 来月は御文に代わりご法事や葬儀で勤められる『大無量寿経』下巻の三毒五悪の貪欲に説かれている箇所の抜粋現代語訳をご一緒に拝読させていただきます。 貪欲 世の人は浅はかで心が卑しく急ぐ必要のない事を争い... -
第一帖目第十通の御文(後半)
現代語訳(抜粋) さて、当流の者はどのような心で阿弥陀如来をお頼み申し上げればよいのでしょうか。 お答えします。信心を得て弥陀を頼みとしようと思われるならば、まず人間は五十年百年のうちの楽しみである、後生こそが一大事なのだと思って、さまざ... -
第一帖目第七通弥生中半の御文
現代語訳(抜粋) 何のはからいもなく、我が身は十悪五逆の浅ましい身であると深く実感し悲しみ、阿弥陀如来はそのような浅はかな身である私こそを救い取ってくださると心得て、その上で阿弥陀如来におすがりしたならば、かたじけなくも阿弥陀如来は救い取... -
第一帖目第六通睡眠の御文
現代語訳(抜粋) この頃は強い睡魔におそわれて眠いのはどうしたことかと考えてみますと、往生を遂げる命終が近づいてきたからであると思われます。大変あじけなく、名残惜しく思います。そうではありますが今日まで往生の時が今にも来るだろうと気を許す... -
第一帖目第五通 参詣施物の心中
現代語訳(抜粋) 第五通 参詣施物の心中 今年はたくさんの方々が吉崎の本山に参詣し施物を寄進して下さっておられますが、どのような心でなさっているのでしょうか。 当流の趣旨では浄土に往生できるのは、他力の信心を得るから往生できると教えられると... -
第一帖目第三通 狩猟の御文
念仏者の心の趣 当流親鸞聖人の教えは、自分の心に悪い思いが起こる事を止めたり、様々な執着を起こさないようにしようとするものではありません。私達凡夫は縁に従う存在であります。怒らないでおこうと思っていても縁に触れれば怒りの思いが湧き起こって... -
第一帖目第二通 出家発心の御文
現代語訳(抜粋) 阿弥陀如来に救われる人とは 当流親鸞聖人の教えは、必ずしも出家をして僧侶になり戒律を保たなければならない教えではありません。また家庭を捨て欲を捨てなければならない教えでもありません。「人に勝ったか負けたか、得か損か、幸せ...
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