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お勤めの最後にあげられる『御文』とは
浄土真宗のご家庭ではご法事やお月忌、お盆参りの最後に『御文』(『御文章』)が拝読されます。この『御文』は親鸞聖人から数えて八代目の蓮如上人が書かれた五帖八十通からなる和文の御文章です。蓮如上人が活躍された時代から約550年、日本人のおよそ半数のご家庭で毎朝夕一通づつ拝読されてきました。先の大戦で勝利したアメリカのマッカサーが日本人の識字率の高さに驚いたそうですが、それは真宗門徒が『御文』を拝読してきた伝統によるところもあるのではないのでしょうか。
よくあげられる『御文』
よくあげられる『御文』は五帖目第一通「末代無智の御文」(末代無智の在家止住の男女たらん~)代十通「聖人一流のお文」(聖人一流の御勧化のおもむきは~)代十六通「白骨の御文」(それ人間の無常なる相をつらつら)であります。
上記三通以外のご紹介
西念寺でもいつも上記の三通をお月忌で拝読させていただいてきましたが、三年程前から三通以外の御文にも触れていただきたいと思うようになってまいりました。しかし一方で約五百年前のお言葉を一度拝読しただけでは内容を了解する事が難しいのではと考え、不敬を承知の上で、私が大切に聴かせていただいた箇所を中心に私なりの了解で現代語訳してお月忌で拝読させて頂いております。
その御文の現代語訳を本ブログにてもご紹介させていただき、御同行のご了解やご批判を頂戴できれば幸いです。
西念寺お月忌拝読用現代語訳御文
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