先日、11月30日 後藤スエ子様の七回忌法要をお寺にて厳修いたしました。今回の法要に合わせ、長男様のお住まいのある千葉へご遺骨を移されるとのことで、西念寺としては最後のお勤めとなりました。
当日は、長男ご夫婦は千葉から、長女様は京都から、次女ご家族は福岡からお越しくださり、寂しさの中にも和やかなご縁となりました。とくに長女様はお母さまと瓜二つで、私がお母さまに本当にそっくりでいらっしゃいますねと申し上げたところ、長男様が「住職さんから見てもそうなんやね」と笑顔でお話しくださり、場がほころびました。
また、後藤家はもともと採銅所の大内原のご出身で、戦国の頃には勝山との境あたりに点在していた山城・要害の守備を任されていた家柄であると伝えられております。香春岳一帯には砦が築かれ、周辺の山間を守る防衛線が張られていたと記録にも見られますが、後藤家はその一角を担われてきたのでしょう。歴史の深みと誇りを感じさせるお話です。
さらに「大手原後藤家」はご親族が広く、ほとんどが西念寺の御門徒であられます。そのため、地域のあちこちでご親戚の方とご縁がつながっており、仏事の場でも自然と心が通い、安心してお勤めが進んでいきます。思い出や近況が次々とつながり、故人を中心に人と人とが寄り合っていく──代々同じお寺とご縁を結んでこられたご家族ならではの温かさだと感じました。
そういえば、私の記憶ではスエ子様はつい最近も清瀬橋を歩いて渡っておられました。「お元気な姿がついこの間までそこにあった」という実感があり、ご遺骨のお移りと七回忌を迎えた今回のご縁を胸がしめつけられる思いで受け止めました。
法要の休憩中には、後藤家ご親族の皆さまと本堂で写真を撮り、それをアップするお約束をいたしました。
本堂にて — 七回忌法要の休憩中に撮影。あたたかなご縁と笑顔が生まれたひととき。
その際に、妻がユーチューブで先日70万再生を達成した一方、私のブログは平均3再生で、よく妻から「単位間違えてない?」と笑われる、という話をすると場が大きく和みました。するとご親族の皆さまが「じゃあ私たちが一回ずつ見ますから、今回の記事は10再生超えますね!」と盛り上がり、笑いの中に温かい一体感が生まれました。仏事とは悲しみだけで終わらず、ご縁と笑顔が回復していく時間でもあるということを、改めて感じさせていただきました。
亡きお父さまとお母さまは香春町山下の蓮華寺様の隣にお住まいを構えられましたが、当時は蓮華寺様との間に小さな沢があり、子どもの頃は遠回りしてお寺に遊びに行ったのだと、ご家族が懐かしそうに語っておられました。その思い出を伺いながら、ご家族の歩みと、そこに寄り添い続けてきた仏縁の尊さを、胸を熱くして噛みしめるひとときとなりました。
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福岡県田川郡香春町 西念寺


